ご訪問ありがとうございます。
歩いている時、最近思い出す言葉があります。
知ったのは宮内勝典さんの小説「グリニッジの光を離れて」でした。
若き日、大学生の頃、何度も何度も読んだものです。青春文学の嚆矢、と言われていました。
日本の青年がニューヨークで知り合ったのは前衛芸術家の河原温さん。小説では仮名になっていますが、河原さんと知れる設定です。
小説でも河原さんの「何時に起きた」「私は~へ行った」シリーズも紹介されていましたが、強烈な印象を残したのは「I AM STILL ALIVE」でした。
ウキペディアから引用します。
「1970年から始まったシリーズで、特定の人物あてに電報を送るもの。電報は世界各地から送られてくるが、文面は常に同じで、"I AM STILL ALIVE ON KAWARA"(ワタシハ マダ イキテイル カワラオン)」
私はまだ生きているーー
著名な芸術家と比べるのも恥ずかしいのですが、このブログもある意味「生存証明」です。
毎日300~400名の方が訪れ、記事も1000以上読んで頂いています。特定の読者様へ日々「私はまだ生きている」と発信していると思っています。
芸術ではありませんが、お伝えしたいことはままあります。
とくに、世間に良くいるサラリーマンが老後をどう送っているのか、を日々綴って行きたいと思います。
どこまで、いつまで続きますかね。
今日も、私はまだ生きています。
それでは、また明日!!
↓ 1980年、大学生の時に出会った一冊、です。文庫にならないかなあ。

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コメント
コメント一覧
アポロの月面着陸と猿の脳味噌のくだり よく覚えてます
河原温 たまたまですが高校生の時の 目で挨拶するだけの友人(新聞部の部長)が彼の親族でした 刈谷ですね まだまだ評価なんかされてなかったと思うけど 作品の概要は身贔屓する事なく赤ヘル並ぶ部室で聞きましたねぇ 両切りジタンの煙のなかで 加藤君はn大だったかな
以降 付き合いなしですが あの三兄弟とも繋がるのを知ったのは 平成になってからでした
むうちょさん のブログで 十代の自分を思い出す
ありがとうございます
日付作品 ひとつでも持ってれば、、、 なんて考えてしまうのが 普通ですね
Kさん、お詳しいですね!
そうです「文藝」でした、河出書房です。
私は醤油が縁で河原さんの奥さんと知り合い、
家に呼ばれるシーンが印象的でした。
「河原は食事だけは愛国者なのよ」と言う箇所も。
終活で、活字が小さく読めなくなったので、
本は処分してしまいました。
文庫本で復活しないかな、と期待をしているのですが。